無常の社会と「知足」の技術 (2020年10月23日「週刊金曜日」掲載)

— 以下の記事は2020年10月23日発売の「週刊金曜日」に書いたものです。—

 

2019年10月から11月にかけて、『庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019』という写真展を、東京と大阪で開催した。老若男女様々な方々に来廊して頂いた。

「世の中には多種多様な生き方がある。」

「自分もいつホームレスになってもおかしくない。」

「元気、勇気をもらった。」

「普段見て見ぬ振りをしている、なんだか怖い。」

「汚い、みすぼらしい。」

「公共の場所だし、違法なのではないか、迷惑。」

無論、人によって感想や意見は全く異なる。写真展会期中、大学の社会学の恩師とトークショーをやり、個展に合わせた今回の写真冊子(ZINE)も販売した。自分が撮影した被写体である庵の人(現在都内の公園に住んでいる)も個展に駆けつけてくれた。

 

10年という月日の中、繰り返し同じ場所に訪ねて撮影した庵の人々もいるのだが、次に訪ねた際には、都市開発(特に東京オリンピック)の工事で撤去・立ち退きになっていたり、台風や洪水といった災害で庵が壊され跡形も無くなっていたりすることもある。仮の宿はそのまま、あずかり知らぬ明日や人生にも例えられる。この写真展で、ある鑑賞者は「現代の日本で住む、生きるということについて考えされられた。そして2010年代が常に災害の余波の中にあることを実感した。」と言っていた。

 

タイトル副題の「The Ten Foot Square Hut」は、鴨長明の「方丈記」の英訳をそのまま借りてきている。方丈記は、いわゆる「ゆく河の流れは絶えずして〜」の無常観の隠棲文学なだけではなく、平安時代末期の10年の間に、京都の大火災、竜巻、飢饉、大震災が起きた様子が彼の俯瞰的な視点で書かれている。

 

時は流れて現代、ここ10年は東日本大震災、原発事故、そして新型コロナウイルスと3つ挙げるだけでも、平安時代の末法の世に重なる未曾有の災害の時代であると言えるのかもしれない。コロナ禍での国の支援策、10万円の特別定額給付金、果たして庵の人々は受け取ることができるのだろうか。

 

彼らは最低限の庵、彼らなりの住環境を持っている。しかしそれは国が定めるところの住所ではない。政府は、特別定額給付金は全国民に行き渡るようにするとしてはいるが、受け取りには住民票やマイナンバー、身分証明書の確認を必須としている。それを持っていない、定住していない彼らはどうなるのか。住所とは、土地の所有とはそもそも一体何だろうかと考える。以前私は知り合いの庵人に手紙を出したのだが、ちゃんと届いた。宛先は「東京都〇〇区〇〇町〇〇テント村〇〇様」といった具合だ。その人は自分の庵に郵便受けを設置している。

 

あれだけ大規模に準備を行ってきたオリンピックは延期になり、世界規模に広がるウイルスはまだまだ収束の目処がつかない。さらに言うならば南海トラフ地震も近い将来いつ来るかわからない。人為的な私達の努力ではどうにもならないことが多々存在している。大災害が起きた際には、多くの人々が一時的にせよ野宿者的な生活を強いられることは想像に難くない。避難所も少なく、また公的機関が機能不全に陥ることも考えられる。

 

そんな中、庵の人々には知恵やヒントが少なからずあるように思えてくる。それは例えば、今ここにある最低限の条件で身辺を工夫し、日々の生活をブリコラージュしていくこと、または欲に駆られてモノを占有しない、所有の未分化やシェアリングの思想であったりするだろう。コロナ禍の自粛の中、寂しさや無力感、ストレスを感じる人が多くいる中で、もともと孤独や節制に慣れており、一人の時間を楽しんでいる庵の人々も実際多くいる。

 

目まぐるしく変化する無常の現代社会において、安定する唯一の方向は、不安定を受けいれるという矛盾かもしれない。連続した不安定を乗りこなすため、「知足」の技術を身に付け、心の平穏を保っていきたいと思うところである。

 

のぐちけんご 写真家

「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」の写真冊子(ZINE)はhttps://kengonoguchi.stores.jp/まで。