無名の人々_02_Twin Homeless

2010年3月のある真昼、Sさん(元ホームレスで現在は生活保護受給で寮住まい)と新宿駅西口で待ち合わせた。都内の生活保護受給者は都営電鉄と都営バスはタダなんだと、持っていた定期券を見せてくれた。

ポカポカした陽気の中、いつもの場所(小田急デパート入口前の路上)で共に缶ビールを飲んでいるとSさんは言った。

 

「双子のホームレスがいるんだよ。」

 

戸山公園に住んでいると言うので、会いに行こうということでブラブラと歩き出した。

現在は一掃されてしまって跡形もなく綺麗になってしまったが、その当時は新宿中央公園や戸山公園には多くのブルーシートテント・庵があり、特に戸山公園の方には堂々と、明らかに公園内の目立つ場所に群のようにあり、異彩を放っていた。そのすぐ横で、子供達が元気に遊びまわっていたり、学生がサックスの練習をしていた。

 

Tさんは物静かな双子の兄弟で、ともに日雇いの土方をしていた。宝焼酎が好きなようである。荷物は公園内の樹木の横にまとめてあるが、住む庵はなく、夜は2人で芝生にそのままきちんと布団を敷いて寝ている。双子の兄の方は腰を痛めているようで最近休みがちで、弟が稼ぎに行っている。兄弟助け合っているようだった。

 

写真を撮らせてもらい、後日プリントして渡した。

着ている服も、靴まで同じだろうかそっくりである。兄は髪を後ろに束ねており、体の不調のこともあろうか若干痩せている。手には帽子を持っている。

弟は新聞を持っている。

 

双子に惹かれる写真家は多い。ダイアン・アーバスや牛腸茂雄が双子を撮った写真は、写真をやっている人なら誰もが知っているであろうほど有名な作品であるが、一体何がそうさせるのか。

 

何だかまだうまく言えない、

写真と双子の関係性についてもう少し考えてみる必要があるのかもしれないなと思った。何かそういう引力みたいなものが此処には存在しているようだとふと思った。

 

 

 

 

東京都新宿区 2010

 

河川敷停留所_02

–この文章は河川敷に住むある庵の人が綴った手記(原文ママ)である–

 

ガキ連

 

「オッチャーン! テント張りたいけど、どうやったらいい?」

「なんやて?・・・・テント?」

たまに来る悪ガキ3人組、中一と小五の兄弟、中一の友達といったところか、汚ないブルーシートをかかえている。

「なんやァー・・・今からホームレスになるつもりか?早すぎるでェー!」

「ちゃう、ちゃう・・・・家出してきたんや」

「なんやて?イ・エ・デ? オゥ結構、結構、家出結構、なる程、それでテントか、ほなら、めしはどないするつもりや?」

「お菓子もってきた、500円玉も一枚もってる」

「オウ、オウ そんなら大丈夫や、フフッ!」

「よし!針金とペンチを貸してやる、いい場所も教えたる。けんど、オッチャン手伝わへんで。自分達で作るんやで!」

 

色んな子供が停留所に遊びに来る。石を投げての水切りも、カニの取り方も知らない子が多い。ただ、今日の子等、冒険心だけは少し持っているようだ。

ワシも子供時代、秘密基地を作ったっけ。遠い昔を思い出す。

「オッチャン!手伝ってくれへんの!」

「アホ、オッチャンが手伝うと扇動したことになるやろ!」

「センドウって?」

「ン、船のセンドウやないで!つまりな、何ちゅうかケしかけたことになるやろ、坊主らの親がきたら、あとあともめるやろし、オッチャンはそういうのがいやなんや!」

「親なんて来(き)いへんー!」

「わからんでェ、親は子供が可愛いもんや、ましてな、今モンスターペアレンチとかがはやっとるとラジオでゆうとったし。ン?レンチやなくてペンチやったかな?」

この停留所に来る子らは塾とは縁のない子が多い。案外親もほったらかしタイプかもしれない・・・・が、家出にはちょっとあせるやろ。兄弟以外のもう一人はおもしろがってついてきた感じだったので、一人の時、こそッと言ってやる。

「携帯、持っとるやろ、あとでこっそり連絡しとき!」

「・・・・ウン。」

適当な場所を教えてから言ってやる。

「エエか!そこで寝てもエエけどな、河川敷は怖いこと一杯あるんやで、気いつけや!」

「エ、なに、怖いことって?」

「ンー、まんず放火、そんで野犬もおる。たまに人間の死体も流れてくる。ネズミ、イタチ、一番は虫やろな。ダニ、クモ、ムカデ、ハサミ虫、ナメクジ、それからヤブ蚊、このへんのヤブ蚊はさされるとものすごくかゆい、咬むアリもおる。へてから、背中の赤いクモには気いつけや。セアカゴケグモいうて毒持っとるのがどんどん増えとる。」

「ダ、大丈夫やそんなもん!全然怖くないワー」

「火使ったらあかへんで!煙見たらすぐ警察官がきて家出も終りや」

「ワカッタァー」

昔の子供は日が暮れる迄遊んでいたもんや。と思いながら停留所に戻る。

いろんな子が遊びにくる停留所だが、女の子は小学生迄かな、中学生になるともう来ない。

そんなところに近づいてはいけません!あぶないでしょ!ホームレスというのは人間のクズなのよ!遠くから、近くから、何かと聞こえてくる。

ワシはその声に反発し、子供らがきたらよく言うセリフがある。

「オッチャンはえらいんやで、自分でめし食うとる!」

「エヘッ、そんなの当たり前や!」

「アホッ、自分で生活しとるという意味や。アルミ缶なんかを売ってな。仕事さえあればいつでもでて行ったると思ってるんやが、60過ぎると誰も使ってくれへん。オッチャン土木仕事しか知らへんし年金もないワ。けんど頑張って生きとるんやで。」

「ヘェー、オッチャンずーっと頑張ってるんや。」

「そうやでェー、世の中、ひと様の金で生きとる人間が多すぎると思うとる。坊主らもそうやで・・・・。親に飯食わせてもろうとるやろ、小づかい迄もろうとるな!」

「そんなの当たり前や」

「当たり前じゃない!!ま、子供じゃから仕方ないとは言えるがナ、ン、そういえば今日本で一番えらい人がたくさんの小づかい守ろうとったなァー・・・・アッハハー。」

「アーテレビで言ってた総理大臣やろ、何オクとか?・・・・オッチャン1億円てどの位やろ?」

「アホか、ワシに聞くな!オッチャンは見たこともさわったこともないワー!」

 

家出の子ら、子供なので、やはり火が心配である。時々見に行く。暗くなってもワイワイ、ガヤガヤやっていたが夜8時過ぎかナ、誰もいなかった。おどしがきいたかな!死体といった時は目を丸くしてたな。ヤレヤレ、帰って良かった。

 

 

 

河川敷停留所_01

–この文章は河川敷に住むある庵の人が綴った手記(原文ママ)である–

 

癒し空間 河川敷停留所

 

ワシは河川敷に住んでいる。住んでいるというのはおかしいかな?

ホームレスというのは(家がない)ということらしいから。

つまるところ寝場所ということだ。

流木とシートなどで作った小屋は自分なりに快適だと感じている。

勝手に作って河川の管轄、国土省には悪いなぁと少しだけ思っている。

 

でも生きなきゃナ、60を過ぎると土木、建築の日雇い仕事はほとんどない。

で、アルミ缶などを集めて売って1日500円から千円でも充分だ。

酒も飲めるしタバコも買える。

一週間に一度は西成NPO、高齢者清掃業に行く。道路掃除や草刈りだ。5300円もらえる。ゼイタクもできるってもんだ。

 

寝場所の横のスペースに休憩所を作った。三m四方かな、ゆったりとした作りのつもり。それが河川敷停留所だ。

ワシの長いホームレス歴の中で、この停留所でいろんな出合いがあった。これからもあるだろう。もちろん別れも多い。

この停留所!なんや、ホームレスか!と言わずにいやしの空間として散歩の途中に寄ってくれたらそれも一つの縁だろう。

ワンカップ一コ持ってきてや!それが一番うれしい。

大阪府大阪市淀川区 “河川敷停留所” 2015

無名の人々_01_幾何学者

2010年1月のある日、私は上智大学の構内にいた。今は行なっているか分からないのだが、カトリック系のこの大学は、当時炊き出しを行っており、誰でも無料で一食頂けるということで、ホームレスの方々がずらり並ぶ日があった。

神父の話を聞き、皆で祈り、100人以上が食堂でカレーライスとみかんを食べる。

 

長身で薄汚いイエローのウィンドブレーカーを着ている男性が気になった。どんよりと黙って食べている人が多い中で、この男性は他の人とは違い、なんだか生気を放っている。さらに熱心に手元の本を読んでいる。タイトルを見ると、「一般相対性理論」と書いてある。薄い新書などの平易なものではなく、学術書の本気の相対性理論だった。

 

「ずいぶん難しい本読んでいますね。」と私が話しかけると、「宇宙とか興味あります?」と聞いてきた。私は文系なのでそういう類はあいにく詳しくないと言うと、「文系・理系と分けるのはそれ自体ナンセンスなんですよ。社会のシステムに従属しやすい専門家を育てる教育の方針で悪習でして、ゼネラリストが生まれないわけなんですよ。昔は哲学と科学は一緒で…。」と矢継ぎ早に喋ってきた。

 

食事が終わると、別室で衣服の配布がある。彼は、「僕はジャンボサイズですからねぇ、靴なんか28cmですから…。」と言いながら熱心に自分に合うものを探している。そのうち茶色のコーデュロイのジャケットを手に入れた。腹を満たし、服も、カイロまで貰い、彼はゴキゲンで外に出た。寒さ対策でズボンは3枚はいており、全ての荷物が入ったパンパンのドラムバッグを2つ肩にかけている。

 

Oさん、58歳、神奈川県の湘南出身、フランスのストラスブール大学院で幾何学をやっていた。大学や予備校講師、家庭教師、コンピュータ関係の仕事に携わり、55歳で全てを捨ててホームレスになった。大学で一生かけて自分の研究をやり素晴らしい定理を発見する道を選ばず、お金は稼げたがバカな医大生に数学を教えることにも疲れ、受験産業に嫌気がさしたと言っていた。

昔から出家や、不可触賎民に憧れていた。文学者の自殺にも憧れたが、自殺する勇気はなく、ホームレスの道を選んだ。

 

読みたい本は区の図書館にないので困っていると言う。本屋の店員も全然知識がないと。昔は映画など見たい洋画は手に入らないから大使館に連絡して取り寄せたというから驚きだ。皇居を左手に見ながら、我々は銀座方面に歩いていく。歩きながら彼はそれに見合ったウンチク、都内の地形や、昔の後藤新平の都市計画の事を語ってくる。今思えば、さながらNHKのブラタ◯リのように案内してくる。排ガスが多い大通りから少し離れ、高度が上がった路地を好む。高低差が少し違うだけで空気が全然違うらしい。

 

人間は体温の恒常性に一番エネルギーを使うので、寒い地域のイヌイット、エスキモーなどは老化が早い、ホームレスも常に寒さと隣り合わせなので老化が早いと言う。現にOさんは一気に老け込んだらしい。ただ100kgあった体重が50kg台になって健康にもなったと言っていた。どちらが良いのやら。

 

銀座のブックファーストに入った。今はもう銀座にないこの本屋は、店内の一角に座り読みができるカウンターがあり、そこでOさんはよく本を読んでいるということだった。この日はThe New Yorkerなどの洋雑誌や、宇宙論の類の専門書を読んでいた。たまにふと思い出したように、窓から見える銀座和光の時計台に目をやり、ゆったりとした時を過ごす。全てが自分の時間だ。

 

「科学的根拠のある妄想を65歳までやる。」

 

と彼は言った。

私が写真や芸術をやっているからか、そのような話題もOさんは振ってくる。写真集は濱谷浩の「裏日本」が良いと言う。なんとも渋い良いところを突いてくる。また店からバルテュスの画集を持ってきてしきりに私に薦めてきた。

 

日が暮れて、有楽町の国際フォーラムにあるソファーベンチに我々は移った。そこでウイスキーとポーク缶でちびちびやった。ここは路上生活者の溜まり場のようだ。Oさんはウイスキーにもかなり詳しかったが、高いウイスキーを選ばれても困るので、ビック酒販で1000円台のものにしてもらった。そのうち、競馬で負けたというおっちゃんが1人加わった。彼は秋葉原の石丸電気の横で寝起きし、翌日はガードマンの仕事に行くらしい。

 

Oさんの寝場所は東京駅の京葉線連絡口(コンコース)だった。地下でそれなりに暖かい。すでに何人も寝ている人がいた。その横を忙しく足早に通過するスーツ姿の方々。Oさんはごろり横になった。酔って顔が弛緩したからだろうか、実に幸せそうな顔をしているので、私は笑いそうになった。

 

「ここでぼんやり自分の定理を考えますよぉー。」と彼は言った。

 

東京都千代田区 2010

庵の人々_01_Every Little Thing

2015年4月、タンポポの綿毛がふわふわ飛ぶ頃、東京都大田区の河川敷、雨よけを加味して橋の下に建ててある庵。Kさんは気さくでよく喋るタイプ。北海道出身で55歳、ここに住んで1年、タバコはメビウスの10mmロングを吸う。酒は飲まずコーラが好き。ケンちゃんと呼んでいいよと言われた。

 

廃品回収に精を出しており、機械いじりが好きなようで、庵自体が小さな工房のようになっている。「こんなもの拾ってきた」と、どんどん自分が集めたものを紹介してくる。「カメラやっているんだったらこれどうだ?これもまだ使えるだろ?俺使わねえから。」と勧めてくるので、私はほぼ新品のチェキ1台と、電子辞書をもらってしまった。

 

驚いたのは、発電機3台とストーブ3台を持っていたことだ。夏は発電機を使ってダクトから庵の中にクーラーを効かせているらしい。軽く衝撃が走った。今まで結構な人数を取材してきたが、どの人も夏の炎天下の河川敷、蒸し風呂のようになる庵の暑さに苦しめられていた。まさか冷房をつけている人がいたとは。上には上がいる。固定観念は打ち砕かれる。

 

庵の中を見せてもらう。そこかしこに、私にはガラクタにしか見えないのだが、様々な機械部品が転がっている。Kさんは、「良いコンポを拾ってきた」と言い、スイッチを押すと、突如爆音で音楽が流れ出した。「音質が良いんだよ」と言い、音量をさらに大きくする。「ちょっと音大きすぎませんか!?」私の方が周りを気にして焦ってしまった。静かな河川敷でごちゃごちゃと家電製品に囲まれ、大の男2人が狭いところ、ELTのFor The Momentを爆音で聴いている。

 

“これほどにひとを好きになること今までなかったから
潤してほしい この熱い身体 ずっと抱き締めていて”

 

この上なくあっけらかんと、場違いな歌詞が鮮烈に耳に入ってくるのであった。

東京都大田区 2015

東京都大田区 2015

Deep in the mountain in India → Tokyo station

インドの深い深い山奥で二人に出会った。

Kengo and Yumi (b.1984, b.1983 Japanese), Kheerganga, India, May 14, 2017 

 

丸ノ内epSITEでの僕の個展の最終日に駆けつけてくれた。旅、縁、時間、移動。

そして春になり2人はまた新たな旅を続けて行く。

Kengo and Yumi, Tokyo, Japan, January 20, 2020

STORY (solo-backpackers→marriage→family(with baby)

それぞれ最初はソロで旅をしていた2人。

Yuki (b.1987 Japanese), McLeod Ganj, India, October 4, 2016

 

Polly (b.1989 British), McLeod Ganj, India, October 17, 2016

 

Polly (b.1989 British), Arambol, India, February 20, 2017

 

Yuki (b.1987 Japanese), Vashisht, India, June 3, 2017

 

Yuki, Polly, and Ryo (b.1991 Japanese), Kanagawa, Japan, January 6, 2019

 

Yuki, Polly, and Maya (b.2019 Japanese-British), Yamanashi, Japan, November 11, 2019

旅中出会い、恋をし、結婚をし、子供が生まれ、これからは家族の旅が続いていく。